春の農繁期を終えて

3月20日に令和2年度の稲作が始まり、まず種籾の浸漬作業から開始いたしました。4月1日には床土づくり、播種作業、苗代づくり。4月下旬からは本田の耕耘、代掻きと続き、5月12日から田植え開始、5月29日に田植え終了。その後も水管理、畔草刈り、溝切など作業が続きました。それでも田植え作業が終わると精神的にも肉体的にも一段落といった状況です。昭和40年代半ばまでは田植えが6月下旬までかかっていましたが、今は5月中に終えることができます。
当地域では田植えの機械化は昭和40年代半ばからでしたが、それ以前はすべて手植えでした。腰を曲げての作業は大変でした。当時は小中学校でも「田植え休み」というのがあって、子供たちも学校を休みにして家の手伝いをする習慣がありました。非農家の子供たちも地域の農家に手伝いに行ったものです。「ゆい」といった制度があり、農家の人も今日はここの家の田植えをし、明日は別の家といった風にお互い無償で助け合い作業を進めるのが普通でした。近所がグループであったり、親戚がグループであったり、形はいろいろでした。だからまとまりがあったのでしょう。
さて、田植えが終わると「田休み」と言って、地域(例えば集落全体)一斉で農作業を休む日を設定しました。この日はゆっくりと骨休みする日。この時、家々では近くの林から笹の葉を採ってきて「ちまき」を作ります。これが当時の御馳走でした。「ちまき」の他に「煮物」などごちそうを作って春作業が無事に終えてことに感謝しお祝いしたものです。いまではまったくありませんが・・・・。
今集落で「ちまき(この辺では三角ちまき)」を作る家はほとんどありません。が、我が家では数年前から復活しました。もち米(自社生産)をといでざるに開けておき、笹を三角状に形作りその中にもち米を入れ包んでいきます。「スゲ」というひもで結び(独特な結び方)、その後水から煮て約1時間半。水で冷ましていただきます。今年はちょって多めに140個ほど作りました。2升5合のお米。
近所や親戚に配りました。喜んでもらい「またほしい」という声を本気にして第2弾80個作りました。こんな忘れかけている習慣を大切にしたいと思っています。